2011-07-22

あだち充作品『タッチ』の魅力

 「少年サンデー」に1981~86年の間連載された漫画あだち充の作品『タッチ』。年代としてはちょうど私の父親たちの世代である。しかも少年漫画。私自身そこまでアニメ、マンガを読むタイプではないし、野球に特に関心があるわけでもないが、この作品はマンガもアニメ(おそらく再放送)も映画も観た。ストーリーを知っていながらも何度見ても良い作品だなあとつくづく感じる。私の世代の女の子たちも同じような人は多いだろう。いつまでも古くならない、男女ともに世代を超えて愛され続けるこの作品にはどんな魅力があるのだろうか。
 この作品は高校野球と恋愛が軸となっている作品である。1970年代までのスポーツ漫画といえば、「スポ根」、「男らしさ」やそこから生まれる「熱い友情」などが前面に押し出されていた。『巨人の星』『あしたのジョー』などはその典型例といえよう。言ってしまえば、「暑苦しい」「男くさい」作品だ。そんな作品のなかで女性の役割は、スポーツ第一の男性を陰でやさしく支え、あくまでも男性がメインに描かれている。そんな風潮を一掃し新たな“やさしいスポーツ漫画”として生まれたのが『タッチ』である。それまで筋肉が強調され、スポーツシーンは特に過激だった作品のイラストとは打って変わり、絵は癖がなくやさしいタッチで描かれている。ストーリーも平凡で親しみやすく、“超ミラクル”的な要素はない。少年漫画でありながらも、少女漫画に近い作風になっているのである。
 第一に読者の共感を得たのがR・ジラールの論説「モデル=ライバル論」としての登場人物たちの心理の関係性である。“欲しいではなく憧れ”を重視している。主人公の上杉達也はが、彼は直接その対象を追求するのではない。双子の弟「上杉和也」という存在を自分のモデルとして彼に憧れを抱いている。そしてそのモデルを媒介として、「和也」に憧れることによって「浅倉南」「甲子園」という対象を追いかけているのである。この論説は私たち日常ではよくあることであり、読者の多くはこの達也の心理に共感を抱いたのである。
 第二に重要なのが「浅倉南」の存在である。先ほども述べたように、これまでの作品では女性は男性の影で描かれていた。南もマネージャーというポジションで達也を支えているわけであるが、その中でも南の存在は輝いている。達也と和也、二人から愛されている上、他の野球部員からも信頼され大切にされている。新体操部で活躍するなど、彼女自身の運動神経もよい。基本的に明るく素直で、前向きで気丈な性格。一生懸命物事に取り組み、人前では泣き言や弱さを見せたがらない。否のつけようのない女の子とでもいえよう。女性読者はそんな南に憧れを抱いた人も多いだろう。しかしあくまで南に対して共感できる部分も多くあるのが支持される理由だと思う。まわりには明るく気丈に振舞いながらも実は弱い部分もある。完璧な風でありながら、涙を流し傷つく南もいる。たとえば南が電車の通過するガードレールの下で泣くシーンなど、普段南が周りに見せない姿を読者は目にするのである。(このシーンは特に印象的で、ただ大声で泣いているらしい絵が描いてあるだけなのである。この無音の間によって、南の哀しみの深さや、複雑な思いがくっきりと浮かび上がり、彼女の心情に引き込まれるのだ。さすがあだち充。)
 第三に主人公「上杉達也」の等身大な面と天才的な面とのバランスだ。ただ等身大な男子高校生だったら特に面白くもなく、読者は飽きてしまう。しかし天才すぎる(魔球が使える、完璧でモテモテなど)と共感を得ずに羨望や反感が生まれてしまう。「上杉達也」のこのバランスは何だったのか。弟の和也はそれこそ天才、というか欠点がない。野球もうまいし勉強もできる、そんな和也とは正反対に取り柄もなく何一つやり遂げたことのない達也像はまず等身大な存在としてスタートする。しかし和也の死後、野球部に入部した達也は和也をもしのぐ才能を発揮して、ついに明青高校を甲子園出場にまで導くのである。要は天才肌である。素直にかっこいい。「上杉達也」はただ等身大な存在としてではなく、そこに才能と情熱、南への強すぎるくらいの執着、そして繊細さを兼ね備えていたのである。このバランスこそ、彼が男性からも女性からも支持されたポイントだと思う。この作品で出てくる家族関係や日常の生活感、そんなものも登場人物たちをありのままに映し出しこのバランスを生んだのではないだろうか。
 タイトルのタッチはバトンタッチの意味が込められており、弟の夢を兄が受け継いでいくことを表わしている。南の夢を和也に代わって、和也からバトンタッチして叶えた達也。しかし達也でなければ叶えられない南の夢がもう1つあった。「好きな人のお嫁さんになること」だ。南は不安を抱く。達也は「欲しいものは欲しい」と言えるようになるのか。最後まで引っ張る2人の「恋愛未満の関係」が美しい。この、読者をなんとなく気恥ずかしくさせるような、爽やかで瑞々しい恋。けれど、決してゴールが見えない恋。この「恋愛未満の関係」こそ、最後の「上杉達也は浅倉南を愛しています。」というこれだけの言葉を輝かせ、多くの読者の心をひきつけてやまないのであろう。