2011-11-06

『愛と平和と音楽の3日間』 〜世界を変えた伝説のロックフェス〜





 1969年8月15、16、17日と3日間に渡り、ニューヨーク郊外のベゼル丘で歴史を動かすロックフェス“Woodstock Festival”が行われた。いや、もはや単なるロックフェスではない。アメリカ社会に留まらず、音楽史だけでなく、世界と時代を変えた3日間。戦争でもなく何かの宣言でもなく、天災でも神の力でもない。この時代をリアルに生きた人間たちが創り出した『愛と平和と音楽の3日間』と呼ぶのが一番ふさわしいのではないか。

 1969年、それは暗い方向に向かっていく世界とそれに希望の光をさそうとする若者たちとが交錯した時代だった。アメリカでは映画『イージー・ライダー』が公開され、ヒッピームーヴメントが広がり、古いしきたりと暗い時代に意義を唱える若者たちは、髪を伸ばし“反体制”を唱えていた。いわゆる“Counter Culture(対抗文化)”と呼ばれるその動きは“Don't Trust Over Thirty30歳以上の人間を信用するな)”という象徴的なスローガンとともに、日本を含む世界各地を巻き込んでいた。しかしそんな若者の声は儚く、世界は希望の見えない閉鎖的方向に向かい続けた。この年の2月にはアラファトを議長として事実上パレスチナ亡命政府が成立、6月にはニューヨークでは警察に対するゲイの暴動としても有名な「ストーンウォールの反乱」が起こり、7月にはアポロ11号が月面着陸を果たし、9月にはベトナム戦争の最中ホー・チ・ミンが死去し、戦争は激化、北アイルランドでは毎日のようにテロのニュースが流れた。

 そんな時代の中8月15日、黒人フォークソンガーのリッチー・ヘヴンズの歌とアコースティックギター、D−40の演奏で始まったのがWoodstock Festival”である。アメリカ内でも、キング牧師の暗殺など人種差別に対する公民権運動の戦いの中で自由と平和と平等を求めた若者たちにとって、当時28歳だった黒人のリッチーが唄った『Freedom』という曲は多くの希望を与え、心に染み渡ったであろう。ファンク・ミュージックの元祖といえるスライ&ザ・ファミリー・ストーンも、黒人・白人・男・女という当時にしたらとても珍しいメンバー編成でバンドの存在自体が強いメッセージ性を備えていた。そして最後を締めくくったのが天才ギタリスト、ジミ・ヘンドリックスだ。彼もまたアフリカン・アメリカンという人種であった。最終日は大雨により一時コンサートが中止になっていたため、彼の出番は翌日の早朝だった。最終日20万人以上いた観客のほとんどは帰ってしまい、実際にウッドストックでの彼の演奏を聴いたものは数百人だけだという。そんなまばらな観客を見渡し演奏し始めたのが、アメリカ合衆国国家『星条旗(The Star Spangled Banner』である。それは耳慣れたアメリカ国家で始まったものの、途中からの彼の演奏は曲ではなくエフェクターを駆使した衝撃的なものだった。爆撃機の空襲音や人々が逃げ惑う様子を完璧なまでにギターという楽器で創り出した。彼が『星条旗』の演奏で表現したのは、先程も述べたように当時の悲惨なベトナム戦争とそれにのめり込むアメリカ国家、暗い方向へと進んでいこうとする国家と世界に対する痛烈な批判なのである。この演奏は今でも伝説とされ語り継がれている。この演奏は現在ではYoutubeからは全て削除されているが、ここにも何かしらの現在の政治的な意図があるのではないか。そしてこの伝説の3日間はジミ・ヘンドリックスによる、後に合衆国公式行進曲とされる『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』の演奏で締めくくられた。

 このフェスティバルにはあらゆる伝説が語られるが、ただ幸せで平和なだけのフェスティバルであったとは言えない。会場は平凡なニュ―ヨーク郊外のマックス・ヤスガー所有の農場で、ロックやヒッピー、ドラックなどとはかけ離れた場所であったため町の住人の反対運動は激しかった。現実問題フェスティバルに訪れたヒッピーたちはドラックに染まっており、全裸で水遊びをしているなどまさに混沌状態であった。何より問題だったのが来場者数である。主催者側の予想していた1万人から2万人を遥かに上回り、最終的には51万人ほどが訪れたとされている。チケットなどもはや関係なかった。訪れた人たちは全員で“愛と平和と音楽”を感じた。映画『ウッドストックがやってくる』に描かれているが、この“もはやフリーフェス”といういきさつには面白い事実がある。主催者は健全で真面目な青年であったが、記者会見の際に緊張しすぎたため生まれて初めてマリファナを吸ったのだという。ハイになった彼は記者たちの前で『自由だ!!!このフェスティバルはすべて自由なんだ!!!!』と叫んだ。メディアがその様子を流したところ、世界中のヒッピーたちは“フリーフェス”と勘違いしチケットのない人々も遠くからこぞって集まった。そんな経緯から溢れた来場者数により、食料や水の供給、トイレや宿泊施設などは収集がつかず、さらにこの週末の間降り続いた大雨が会場をさらに混沌とさせた。

 こんな最悪と言っていいほどのシチュエーションの中、暴力事件や大きな犯罪は起こらなかった。数には諸説あるが死者は交通事故などでの2人と、さらに出産が2人あったということだ。来場者全員が愛と平和を願いウッドストックに集った。豪雨の中で、泥と食糧難の3日間を訪れた人たちはむしろ楽しみ、昔からアメリカの病根といわれる人種差別、精神的断絶がその3日間だけはまったくなかった。黒人の歌に白人が酔いしれ、共に踊り、同じテントで眠った。この事実が世界中の人々に強烈なインパクトを与え、『タイム』誌は「60年代の若者の特別な文化が、その力と主張を発揮した瞬間」と評し、「史上最大のハプニング」とも記した。1960年代後半という戦争やテロ、権力と暴力の波に飲まれていた世界で、この3日間だけは音楽の力によって愛と平和が唄われた。これこそがウッドストックフェスティバルが伝説として語り継がれ、現在でも「ウッドストックの再来」などと奇跡のフェスティバルとして評価されている一番の理由ではないだろうか。

 そして始めに述べたようにこのフェスティバルは世界を変えた。時代が時代ということもあり、この時期にちょうど歴史に大きな変化が重なったということもある。まずロックフェスであり、音楽界には大きな動きをもたらした。“ロックの商業化”である。結果的にフリーフェス状態になってしまいフェスティバル自体での収益は少なかったが、フェスの様子がドキュメンタリー映画『ウッドストック』によって世界中で上映されたり、ウッドストックの曲を収録したCDアルバムなどが発売されたりしたことにより、最終的にこのウッドストックフェスはかなりの収益に繋がった。結果としては大成功に収まったこの祭りであるが、この結末は「ロックは金になる」という構想を生み“ロックの商業化”をもたらした。“ロックの商業化”というのはそれまでの魂に満ちた本来の意味でのロックという観点から述べれば「ロックの死」と同じことである。この商業化された流れがよくわかるのが70年代初期のアメリカを舞台とした映画『あの頃ペニーレインと』であり反体制を掲げる若者たちの音楽から、明確に大人のビジネスに変貌していく時代を描いている作品だ。またその10年後を描いた映画『ロックスター』ではミュージシャン自身も人気や名声を求め、“完全に商業化されたロック”がはっきりと描かれている。



 
そして音楽に留まらずこの祭りは政治と社会に衝撃を与えた。「正義なきベトナム戦争」への反対運動をきっかけとして、1960年代若者たちは立ち上がっていた。自然、愛、平和、自由などを掲げて暴力と戦争を批判し、人間のあるべき姿に戻り生きてゆこうという動き。彼らはヒッピーと呼ばれ一大ムーブメントとなっていた。1967年に起こったヒューマン・ビーイン(人間性回復運動)も彼らが中心となり、カウンター・カルチャーの重要な担い手となっていった。このような動きにはこの時代のロック、音楽が深く関わり、皆音楽と歌を愛していた。こんな運動のピークと言われるのが“Woodstock Festival”である。希望のない方向へ進むアメリカとベトナム戦争を、音楽、デモ行進、徴兵の拒否、ドラック、フリーセックスなど若者らしい力で食い止めようとした。正しい方法かとか効果があったかなどはもはや問題ではない気がする。少なくとも、このロックフェスティバルではその想いを掲げた若者たちの力が集まり、世界中に衝撃を与えた。結局この祭り以降カウンター・カルチャーやヒッピー文化は衰退していき、ベトナム戦争は泥沼化していった。反対を訴え続けてきた若者たちの世代のアメリカ人青年たちが多く犠牲となった。人種差別は未だになくならず、戦争は終わらない。では彼ら若者たちとこのロックフェスが残したものはなんだろうか。

 私は1969年を生きていない。しかしザ・フーもジャニス・ジョップリンもサンタナも好きだ。このフェスティバルには出ていなくてもこの時代を創ったビートルズ、ボブ・ディラン、ローリングストーンズも好きだ。何が言いたいのかというと、“音楽は残る”“伝説は語り継がれる”ということだ。戦争や紛争がなくならない現在、人種差別も消え去らない現在、この“Woodstock Festival”は人々の心に残り続け愛と平和とを訴え続けるだろう。おそらくジミ・ヘンドリックスの『星条旗』やリッチーの『Freedom』を聴くたびに人々の心には、このフェスの奇跡とこの時代の悲惨さと平和を願う気持ちが思い出されるだろう。現在も世界各国で平和や平等、権利や職を求める若者たちがデモなどを通して訴えている。ヒッピーの運動と同じように彼らの運動の仕方が正しいかは問題ではない。若者たちの運動も虚しく最終的に暗い方向へと進んでしまったアメリカのベトナム戦争は多くの反省が述べられる。もっと若者の力を信じて、声を聞き入れたら何かが変わるかもしれない。現在のデモによってすぐには世界が変わらなくとも後世想いが残っていくかもしれない。そんなことも“Woodstock Festival”は教えてくれたのではないか。

2011-08-25

Dancing Summer



夏休み漫喫中。
音楽にまみれた夏休みかな。


この夏は海外も行かないし(韓国はもはや日本)
どんな夏になるだろうと思っていたけど、案外充実してます。




一番はやっぱりサマソニになりそうです。
だれかsuedeみた人いないのかなあ、、
今のところまさみしか知らないけどwww


もともと大好きだけど、生でみてから空前のsuedeブームが到来!!
オルタナとかブリットポップなんだけど、グラムな要素も入ってて
それがもうやらしくてたまらなーい♡
Suede - Animal Nitrate


なんだか最近は踊りたくなるような音楽が好きです。
ロックばっか聴いてきたけどさ、もちろんロックもばりばり踊れるよ?
ただヒップホップとかエレクトロとかなんかこう、、、
クラブミュージック的なのも聴きたいのね。




要はクラブ行きたいんだけどwww






もうすぐ夏は終わっちゃうけど私達の夏休みは終わりません!!!!
残りの休みは踊って飲んではしゃぎたいですなwww








今日もlmsの8定です!!
最後のjazzがたのしみ。






さ、天気悪いけど洗濯干してご飯つくろっかな。

2011-07-22

あだち充作品『タッチ』の魅力

 「少年サンデー」に1981~86年の間連載された漫画あだち充の作品『タッチ』。年代としてはちょうど私の父親たちの世代である。しかも少年漫画。私自身そこまでアニメ、マンガを読むタイプではないし、野球に特に関心があるわけでもないが、この作品はマンガもアニメ(おそらく再放送)も映画も観た。ストーリーを知っていながらも何度見ても良い作品だなあとつくづく感じる。私の世代の女の子たちも同じような人は多いだろう。いつまでも古くならない、男女ともに世代を超えて愛され続けるこの作品にはどんな魅力があるのだろうか。
 この作品は高校野球と恋愛が軸となっている作品である。1970年代までのスポーツ漫画といえば、「スポ根」、「男らしさ」やそこから生まれる「熱い友情」などが前面に押し出されていた。『巨人の星』『あしたのジョー』などはその典型例といえよう。言ってしまえば、「暑苦しい」「男くさい」作品だ。そんな作品のなかで女性の役割は、スポーツ第一の男性を陰でやさしく支え、あくまでも男性がメインに描かれている。そんな風潮を一掃し新たな“やさしいスポーツ漫画”として生まれたのが『タッチ』である。それまで筋肉が強調され、スポーツシーンは特に過激だった作品のイラストとは打って変わり、絵は癖がなくやさしいタッチで描かれている。ストーリーも平凡で親しみやすく、“超ミラクル”的な要素はない。少年漫画でありながらも、少女漫画に近い作風になっているのである。
 第一に読者の共感を得たのがR・ジラールの論説「モデル=ライバル論」としての登場人物たちの心理の関係性である。“欲しいではなく憧れ”を重視している。主人公の上杉達也はが、彼は直接その対象を追求するのではない。双子の弟「上杉和也」という存在を自分のモデルとして彼に憧れを抱いている。そしてそのモデルを媒介として、「和也」に憧れることによって「浅倉南」「甲子園」という対象を追いかけているのである。この論説は私たち日常ではよくあることであり、読者の多くはこの達也の心理に共感を抱いたのである。
 第二に重要なのが「浅倉南」の存在である。先ほども述べたように、これまでの作品では女性は男性の影で描かれていた。南もマネージャーというポジションで達也を支えているわけであるが、その中でも南の存在は輝いている。達也と和也、二人から愛されている上、他の野球部員からも信頼され大切にされている。新体操部で活躍するなど、彼女自身の運動神経もよい。基本的に明るく素直で、前向きで気丈な性格。一生懸命物事に取り組み、人前では泣き言や弱さを見せたがらない。否のつけようのない女の子とでもいえよう。女性読者はそんな南に憧れを抱いた人も多いだろう。しかしあくまで南に対して共感できる部分も多くあるのが支持される理由だと思う。まわりには明るく気丈に振舞いながらも実は弱い部分もある。完璧な風でありながら、涙を流し傷つく南もいる。たとえば南が電車の通過するガードレールの下で泣くシーンなど、普段南が周りに見せない姿を読者は目にするのである。(このシーンは特に印象的で、ただ大声で泣いているらしい絵が描いてあるだけなのである。この無音の間によって、南の哀しみの深さや、複雑な思いがくっきりと浮かび上がり、彼女の心情に引き込まれるのだ。さすがあだち充。)
 第三に主人公「上杉達也」の等身大な面と天才的な面とのバランスだ。ただ等身大な男子高校生だったら特に面白くもなく、読者は飽きてしまう。しかし天才すぎる(魔球が使える、完璧でモテモテなど)と共感を得ずに羨望や反感が生まれてしまう。「上杉達也」のこのバランスは何だったのか。弟の和也はそれこそ天才、というか欠点がない。野球もうまいし勉強もできる、そんな和也とは正反対に取り柄もなく何一つやり遂げたことのない達也像はまず等身大な存在としてスタートする。しかし和也の死後、野球部に入部した達也は和也をもしのぐ才能を発揮して、ついに明青高校を甲子園出場にまで導くのである。要は天才肌である。素直にかっこいい。「上杉達也」はただ等身大な存在としてではなく、そこに才能と情熱、南への強すぎるくらいの執着、そして繊細さを兼ね備えていたのである。このバランスこそ、彼が男性からも女性からも支持されたポイントだと思う。この作品で出てくる家族関係や日常の生活感、そんなものも登場人物たちをありのままに映し出しこのバランスを生んだのではないだろうか。
 タイトルのタッチはバトンタッチの意味が込められており、弟の夢を兄が受け継いでいくことを表わしている。南の夢を和也に代わって、和也からバトンタッチして叶えた達也。しかし達也でなければ叶えられない南の夢がもう1つあった。「好きな人のお嫁さんになること」だ。南は不安を抱く。達也は「欲しいものは欲しい」と言えるようになるのか。最後まで引っ張る2人の「恋愛未満の関係」が美しい。この、読者をなんとなく気恥ずかしくさせるような、爽やかで瑞々しい恋。けれど、決してゴールが見えない恋。この「恋愛未満の関係」こそ、最後の「上杉達也は浅倉南を愛しています。」というこれだけの言葉を輝かせ、多くの読者の心をひきつけてやまないのであろう。
 





 

2011-05-16

BUILDERS WITHOUT BORDERS

 GVで一番感じるのが自分のHOMEである。去年行ったインドシアにしろ、今回のインドにしろ、想うのは同じ、帰る所だ。大きい広い世界を見て触れれば触れるほど、身近な小さいことを想うようになる。遠い異国で出会った家族の幸せを願って家を建てていると両親、姉、友達、恋人とか本当に大切な人の幸せを強く願うようになる。GVは私にとって、本当に大切なものの大切さに気付かせてくれる、そんな存在なのかもしれない。自分の本当に大切なものを大切に、幸せにできないで誰が世界中の人を幸せにできるのだ、そんなシンプルな話なのだが。
 
2回目のGV。リーダーとしてのGV。このチームで終始考え続けてきたのが『私たちがworkをしにいく意味』である。答えは知っていた、頭ではテキストを読んだかのように理解していた。しかしそこに確かな実感は全くなかった。絆や信頼関係がhouseではなくhomeをつくる。チームのメンバーにはよくこのことを事前から話していたし、先輩からも何度も聞かされてきた。だからこそ今回このGVで私はリーダーとしてとかそんなこと関係なく、純粋にそれを実感できたことに言葉にならない嬉しさを感じた。

 今回workをした村は本当に温かかった。遠く見知らぬ日本という国から来た学生を心から歓迎してくれた。個人的に感じただけだが、家を建てにきたことを、ただ労働力として感謝してくれたのとは違う気がした。「ボランティアとして異国の学生がわざわざこんな何もない貧しい村に、自分たちを想ってきてくれた」純粋にそのことを喜んでくれているような気がした。初めて村を訪れたその日から「ただ家を建てるだけじゃなく、できること全てをこの村の人たちに残して帰りたい」そう強く思った。

 ホームオーナーの元々住んでいる家は想像以上に悪い環境だった。草を編んだだけの穴だらけで脆い屋根と壁、雨風は容赦なく彼らを悩ませる。蛇、蜘蛛、ネズミなどの侵入は子どもの命をも危険にさらす。考えてみて欲しい。冷たい雨が滴り、水浸しになる自分の家を。夜寝ている間、蛇に噛まれるかも知れないと怯える日々を。何よりもまず彼らに安心して暮らせる家を手に入れてほしいと、強い使命感を感じた。

 ホームオーナーにインタビューしたとき彼らは希望に満ちた笑顔で口々にこういった。「夢は今建てている家が完成することだ」と。私たちは彼らの夢を叶える手伝いをしているのだと、自分たちのちっぽけな力にものすごく意義を感じた。同時に私たちができることはその家を建てるという夢を叶え、新たな夢を膨らませることだと思った。私たち含め多くの人が関わって建てたこの新しい家で、また新たな夢や希望が生まれる。たくさんの人の想いが、一緒に建てた思い出が詰まった家、きっとその後の大きな原動力になるだろう。

 「あなたにとって家とは?」habitatで活動してよくこのことを考えるようになった。今の私は「夢の始まりの場所」そう答えるだろう。安心できるからこそ夢が生まれる、大切な家族がいるからこそ夢が生まれる、ゆっくり眠れるからこそ明日の夢が生まれる。家があるから未来に選択肢が広がり夢をもてる。ただ雨風しのげる箱、いわゆるhouseではない。未来の原動力となる始まりの場所、それがhomeなのだと。

 「私たちが現地に行く意味とは?」今回インドに行って強く感じたのが幸せの価値観を押し付けてはいけないということだ。日本という恵まれた環境で育ってきてどうしても自分より苦しい生活をしていると、貧しい人に対して「かわいそう」と感じてしまう。しかし村の人たちは貧しいながらもとても明るく幸せに暮らしていた。きっとこんな貧しくて不便な村は出て、もっと都会の豊かで便利な生活をしたいだろうと。しかし村の人たちは「この村が大好きだ」「貧しくて不便ではあるけどずっとこの村で暮らしたい」そう話していた。

 日本にいてテレビで見るだけでは分からない。「インド=貧しい=不幸せ」というフィルターを介してしまう。そんなフィルターをとおしている限り、彼らの本当の望みは分からない。何に困っているかは分からない。今回私達がworkを通して、お金のあるない関係なく、フィルターを取っ払い一緒に対等な人間としてworkで汗を流したことは大きな意味があったと思う。
 このことはGV、インドにかぎったことではなくすべてに通じて言えるだろう。世界中のそんな分厚いフィルターがなくなり、国境を隔てずにすべての人間同士が対等に関わったら、それこそ世界は一つになれるのだ。
 
 ~Builders without borders~
 私達は国境を取払い、希望を建ててきた。

2011-05-01

make love



































セックスには不思議な力がある。


どんなに喧嘩してても抱き合ってしまえば彼を愛しく思う。


もう好きじゃないと思っていた元恋人も愛しさがよみがえる。


好きでもない相手でもそのときは彼を愛しく思う。


愛のないセックスもありだと思うけど、
実際一瞬でも愛が生まれてるのかも、自覚なくともね。
(※お酒入ったときは例外)


























翌朝その愛しいという気持ちが残ってるかさっと冷めるか。
 それが好きか、好きじゃないかということなのか?






そしてそんな風に一瞬でも生まれた愛しさが
それからの私を幸せにしたり傷つけたり、
それからの彼を幸せにしたり傷つけたりするんだと思う。










tumblrでここにのせてる写真とか見てたらそんな変なこと思った。






まあ、あくまでも持論。
今まで自分が一瞬でも愛しいと思った彼らが
そのとき私をどう思っていたかなんて知らない。
今私をどう思っているかなんて知らない。






要はセックスは一瞬でも幸せな気分になれる。
だけど一瞬では消えない、ずっと続く幸せを願う気持ちがないわけではない。
























さあ、これからの自分の行く末が気になりますね。




※注意
ちょ、彼らって何人いるんだよ?!って思われるでしょうが
全てが私の実体験に基づくわけではありませんので。
友達と話したりね、はいwww
 





Walking Holiday

地味にダイエットに励んでます、らりこです。
効果は無に等しいですが信じてます。




昨日はいっぱい歩きました。
なんとなんと中目黒から下北まで!!!
ブラブラお店は行ったりしながらいったんで
結局2時間半後くらいに到着しましたwww


歩くのっていいですよね、
まあ、ヘッドホンが必需品です。
ちなみに昨日はコーラル聴いてました。

自分の好きな街とかだと全く疲れないのです。
目黒川沿いとかかわいいお店がいっぱいあってルンルンします。


せっかくステキな店でビビッとくる洋服とかあっても
3万円、、、ずーん。とかの繰り返しで打ちのめされるけど、
本当は見てるだけで幸せです!!!店員さんとおしゃべりしたり!!!



とにかく中目黒と代官山は大好きなので
これからもっともっと散歩しにいこうと思う。
入ってみたいカフェもたくさんあるしね!




それに比べると下北はやっぱすごいな、安い服屋だらけwww
ただわりとどこも同じかんじでお店としてピンと来るとこあんまない。
どっかここは斬新だとか、私好みな古着屋があったら紹介してください!笑
ユリエのバイト先だけあってヘイトは断然かわいかったね。


そう、話はそれたけど用は散歩はいいですね、っていいたいのです。
時間に余裕があるときはなるべく乗り物乗らず歩こうと思う!
暑くなる前に楽しんどかなくちゃ、





最後にコーラルとノエルのすげえかっこいいコラボ動画見つけたので↓













2011-04-30

ロッキンホース

ここ数日で映画を何本か見ました。


イヴサンローラン@六本木
愛を読む人
ファッションが教えてくれたこと
シド&ナンシー
キャンディー






それぞれの感想やら内容については多すぎるので、
省かせていただきます。またいつか書くかも。






やっぱり映画はいいですね。
世界観というか自分の価値観が広がり定まる。










ファッションのことについて書きます。




人のためじゃない、自分のために
オシャレさんと思われたいからじゃない。
かわいいと思われたいからじゃない。
男ウケいいモテ服とかどうでもいい。








単純に自分の好きな服を自分の好きなように。


ようは自己満というやつですかね。
好きな服を着て出かけると、その日の楽しさが倍になる。
独りでいても雨の日でも落ち込んでるときも
全部が楽しくなると思う。








ファッションはほんとアイデンティティの象徴ですね、
自分を表現することには労力を惜しみなく使いたいもの。














コレクションとか雑誌みて服という身につける芸術に感動し
スナップとか街中で誰かの自己表現に感動し
自分も新たに自己表現を楽しむ










贅沢は味方ですからね。
ほしがりますよ、
人生プラスαが多い方がいいよね。


















ほしい。
ほしい。
ほしい。
ああ、永遠の憧れ。
ロッキンホースならまずは断然
バレリーナブラック。














2011-04-27

私のうた

                東京事変-夜明けのうた




春合宿の曲探しながらyoutubeでずっと遊んでたらステキな動画に出会えた。
昭和の名曲も色っぽい林檎色になりますね。
レコーディング風景てのがいい。


伊澤さんがかっこいいです、はい。








それにしても椎名林檎の声すき、
アニソンのキレイめな裏声はやっぱり苦手ですねwww
まあタバコすってるから歌うのキツいという、、




春合宿までにきれいな声出るように頑張らねば!!
アニソンにアイドル×2というふざけたバンドしかやらないからな。


ボーカルとしていろんな曲歌えるようになりたいとは思うけど、
やっぱり好きなのは林檎ちゃんの声とか、
ジャニスとかパティスミスとかの
かっこいいちょっとハスキーないかにも「タバコ吸ってます」な声ねwww






声質よりさきに腹筋鍛えて音程が安定するように頑張ろう。
高音苦しいとこなかなかキープできないからな。


よし、ダイエットも兼ねて腹筋開始!!

This is me.

ようこそ、新生HEY!LYLAへ
ブログリニューアルしました。

どうもアメブロデザインが嫌なのと使いづらくって、、
いっぱい友達いるから閲覧用としてアカウントはとっときます。
あと毎日のつぶやきシリーズも続けていくので、自動的にね。


にしても最近つくづく凝り性だなあと、、、
とくにweb詳しいわけでもないから凝り性な分だけ奮闘してしまう。
分け分からんタグを組み合わせながら自分が満足するまで
あれやこれやいじり続けるのです。


一つのページに私の全部のwebページが繋がってて
みんなに見てもらえるのがうれしいし!



HTMLとかいじるのが大好きなので
もっとタグとかカラーコードとか詳しくなりたいよね。












最近好きなことが多くてでも浅くって、、、
楽しいようなもやもやするようなって心境が続いております。























何かしらずば抜けた才能とかセンスがあったらいいんだけど、
そんなものもなくただ浅くて小さい引き出し多いという人間なんですね。
いいのか悪いのかはよくわからないけどもね。


例えば
音楽も映画も中途半端にすきで
アニメももっともっと見たいし
お酒とかコーヒーとか好きだけど知識ないし。
PCも大好きだしもっと色々知りたいことだらけ、、
最近はまってるのが派遣の仕事柄、モバイル。
服も大好きだけどお金ないから気のゆくまでお洒落できない。
写真もちゃんと勉強したいなーと思う。
あとは災害支援とか国際協力はやっぱりやりたいしな、



















んー、やりたいこと多すぎてどれからやればいいか分からないですね。
好きなこと多いのとか、好奇心に溢れているのは楽しいこと!

やりたいことできるできないに関わらず、程度に関わらず
好きなことは趣味として自分のお気に入りには入れときたいものね。




そんな中から今日の気分のものを選んで楽しめばいいのかな、なんて楽観的すぎ?
とゆうことで明日は友達とイヴサンローランを観てBARかなんか行けたらいいな。





2011-04-24

未来は不知顔さ

相変わらず夜は眠れません、らりこです。

エクセルシオール日本橋一丁目店でのバイトが決まり
なんだか新しい気持ちで学校の始まらない新年度を迎えてます。


あったかくなってきて外に出る機会が増えた気がします。
何も予定がない日に家にこもってるのもったいないじゃない?
ゆっくり寝て、掃除洗濯やらにとりかかり、家にある食材でお昼を作る。
最近そんなのが楽しくって*
この前作った
『たけのことじゃこの胡麻味噌ソース和え冷製パスタ』
が春らしくっておいしかったな、やっぱり季節の食材って気分あがる!



そしてお家でゆっくり映画見たり、、、
やっぱり夜行性な私は夕方から夜にかけてが好きなんだよね。
のんびり化粧して気分に合った服を選んで
夜の街にでかけます。

友達と服屋めぐって御飯食べたり
独りで意味もなくカフェにいったり
ふらふら散歩するの。


最近は雑誌を古本で買ってカフェに持ち込んで
コーヒー飲んでタバコ吸いながらゆっくりするのがすき。




ディズニーランドとか水族館とか遊園地とか
そうゆう遊びはちょっと苦手、疲れるwwww
だけどインドアなわけでもなく、散歩とかは好きなのね。
公園とか美術館とかだいすきだし。



時間の流れをゆったり感じるのが好きなのかも。

いつもせわしなく流れてく時間ってのを
休日くらいは味わいたいなって思うんだよね。




もうすぐ休日も終わっちゃう。
学校とバイトとサークルにおわれる日々が始まるのも
楽しみだけどなかなかおそろしいねwww

まあ忙しいの大好きだしいいんだけど!
そんな中でも自分の時間を作ってゆっくりコーヒー飲んだり
じっくり化粧して洋服えらんで楽しめるようにはしたいな。



きっとそんな余裕が原動力になるから。






自分の時間をゆっくり味わえるステキなカフェ(BookCafeとかぜひ)教えてください!
都内ならどこでもいいです!フットワークは軽いの!



最後に昨日graceyさんがtwitterで

graaaaaaacey@Larikko ありがとう。2011の春夏ディオールコレクションを見てほしい。ガリアーノらしく官能的で解き放った女性像がすばらしい!女の子は無限に可能性があります。何も気にせず季節に合ったファッションを楽しんでください。そう言う女性がほんとにカッコいいと思います。


と言ってたからDiorの春夏コレクションを見てみました。
とびきり惚れた3枚をのせておきます。
ほんとかわいいにつきますね。
女の子は素肌にちょっと花を足すだけで魅力があふれるよね、ほんと。

(今年の夏は足を出してショーパンとかワンピースを着たいから、やせます。がんばります。)


$HEY!LYLA
$HEY!LYLA
$HEY!LYLA

2011-03-19

祖国とか故郷とか

フィリピン、インドといろいろ見てきて触れてきて
感じたものがたくさんあります。

まとめて書くことはポンコツあたまには無理なので
少しテーマ?わけながら書いて行こうかと。


ということで、祖国とか故郷とか


ここ最近でHOMEってやつを
ゾクゾクするほど感じてます。

海外、世界
そんな大きなものに目を向けていくと
小さなもの、身近なものの大切さを感じるんですね。


ホーム

日本という国
東京という街
生まれ育った土地

そんなものに焦点を当てて見ます。




地震のときインドにいました。
ケータイニュースで30分後くらいに知って

そのあともニュースで日本の津波の映像とか流れてて
英語の報道にみんなで聞き入って、、


家族にはその日の夜はには連絡がついて
無事っていうからホッとした。

だけど、本当に心配で心配で早く帰りたくて仕方なかった。



日本は危なくて混乱してるのに
家族に会いたいし、何よりも日本人として
そこにいないで画面上でしか見れないことが不安で

帰らなきゃならない気がした。



不思議だった。

家族も無事
私は安全
だけど自分の場所に戻りたい。


そんな気持ち
一緒にいたみんなもそうだったと思う。


地獄でも祖国

自分のHOMEだから帰りたい
その一心だった。






UNHCRのCM見たことがあると思います。
難民支援のNGOです。


難民

故郷を失った人たち
戦争や迫害で故郷を追われ、
遠い見知らぬ所に逃げていった人たち

仲間もいない
家族も逃げる途中で死んだ
知らない国知らない言葉知らない文化

帰るべき所は危険な戦地
家もない
身一つで逃げてきて何もない

ただ銃に撃たれて死ぬ前に
命からがら避難した人たち



帰れることを信じて今だけ逃げてきたのに
もう何十年も知らない場所でテント暮らし、、


戦争が終わったら
迫害が終わったら
故郷に帰れる





安全な所に住めるなら
故郷とか言ってないで逃げた方がいいし
なんでそんなに帰りたいのか?


そんな風に思ったこともあった
そんな風に思う人もいるだろう



考えて見てほしい


いま体育館に避難してる被災者たち
親戚の人の家に避難してる人たち


ずっとそこで暮らせますか?
安全だからそこで暮らしたいと思うだろうか?


自分の土地

津波で流されたけど
自分の故郷


早く復興してもとの土地に戻りたい
そう思うのではないか?





難民も同じ

あのCMの
いつか故郷に帰りたい
というフレーズを考えてみてください。



いまだからこそ、



身近に起こると気づくこと
身近に起こると助けなきゃと思うこと


世界の遠い所でも
同じように苦しんでる人がたくさんいます


どっかの国の難民
どっかの国の戦争、紛争
どっかの国の迫害や差別


身近なことの中で気付いたことがあれば
世界にも目を向けてください。



国境なんてありません、
幸せや喜び、悲しみはみんな一緒です。



そんな思いで書きました。
故郷ってなんだろう、
祖国ってなんだろう、
帰る場所ってなんだろう、


小さなも気づき、想い、動きが
大きなチカラになります。

2011-02-26

FREE EXPRESSION

ある美大生の女の子のブログで
気に入った記事があったのでreblogさせていただきます。


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$HEY!LYLA

ある夕方、武蔵野美術大学、1号館の壁にでっかく出現した文字。(おそらく去年の芸祭のとき)


こんな写真をなんで撮ったのかもよくわからないけど
なぜ今さらこんな写真を引っぱりだしてきて何か書こうかとしていると言うと、


展示の可能性ついて考えていたから。


これをやった人は何をしたかったんだ。

(写真じゃ伝わりにくいが、やたらとデカかった)

まぁおそらく、やった本人はただ単にイタズラな気持ちでやったのかもしれないし、遊戯的な気持ちだったかもしれない。そうだと思う。



しかし、なんか表現として考えた時に、これをやった人は、
このデカい文字で目と気を引いた上で、チラシを見て欲しかったのか、
または、チラシはあまり関係なくて、チラシで書かれている事に目を引かせつつ、このデカイ文字について何か言いたかったのか。


残念ながら、なんのチラシかは忘れてしまったが、
展示のやり方として、こういう方法もあるのかと、今になって思ったのでした。





そう、知り合いの血気盛んな男性のアッパレ発言
「俺はそんなに簡単にやったりしないよ、だって俺はそんなに安くないもん。」


これが本当だったら、なんとなく男女平等を感じます。



恋愛は、やっぱり暇人の暇つぶしにしか思えないけど。
だから暇な人同士でやればいいし、
自分も暇になったらしようと思う。

そっちにアンテナが向かないので、よくわからない。

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言葉だったり写真だったり歌だったり
絵だったり演技だったり音楽だったり

表現方法って本当に色々あるし
どれがいいとも言えないけど、

とにかく私が目指すところとしては
相手の心をさらっと撫でる表現じゃなくて
まっすぐ突き刺さるような伝え方をしていきたい。



暇人同士が恋愛するって考えおもしろい!
あながち確かに!!とも言えないけどね、
なんとなく今の私はそんなかんじなんかなー


自分も暇になったらしようかなー

とゆうか心に余裕ができたら
自然にアンテナも向くんじゃないかななんて。